認知に関して思うこと

趣味

「認知」って言葉を久しぶりに使いました。

もうなんかそんなことまったく気にしないで生きてるので、いい思い出です。

 

今もゆる~く行ってるところ(通い続けて最長記録更新中)ではたぶん認知されてるので、そのことをゆる~く書こうと思います。

ここ数か月の配信もほとんど見てないし、昔ならきっと即刻ぽちって決裁していたであろうグッズも買ってないので、毎日しっかり配信聴いてる友達にはなんだか申し訳ないレベルになってきてます。彼女のことほんと尊敬する。

 

 

認知とは

認知とは…ってここでどっかの文章を引用したかったんですが、Wikipedia先生の「認知」の項目には今回書きたい内容はまったく触れられていなかった(当たり前)ので、出来ませんでした。

認知とは、推しに存在を認識されることです。

 

もっとわかりやすく言えば、覚えられることです。

ネット上とか色々あると思うのですが、私のフィールドは会いに行ける人たちなので…( ^ω^)

 

認知されてるってどうしてわかるかは、それこそ人によってそれぞれだと思います。

私はどうだったかなあ…これは覚えられてる…!?という瞬間を複数重ねた結果だと思うのですが、いかんせんそういう時期って謎にポジティブとネガティブを行き来するので正直わかりません(笑)

 

なぜ認知されたいのか

おたくの中でも、認知されたい人とされたくない人がいますが、私は前者です。

メジャーどころが好きだった頃は考えもしなかったし、今もメジャーどころに戻ってきたので認知されたい欲はまったくないのですが、マイナーな世界に足を踏み入れ、そこで認知にかかわる話を聞いたときは衝撃でした。

覚えてもらえるの…!?え、推しが私のことを知ってるとかそんな世界線があるの…!?

と…あるんですよそんな世界線。

 

個人的な見解ですが、承認欲求だと思っています。

 

あなたを応援していることを知ってほしい。

私はこんなにあなたのことが好き。

 

最初は、推しが前話したこと覚えてた!名前呼んでくれた!とか、そういう小さいことで喜べるんですが、だんだん当たり前になって、さらに多くを求めてしまうんですよね。

そして、他のファンと比較しちゃうんです。対応の良し悪しとか。話の内容とか。

そして病むんだなこれが~!!!!…はあ。

 

認知の弊害

上で少し書きましたが、だんだん求めるものが大きくなるんです。

認知されてないと、ゼロベースだからどんな些細なことでも喜べるしいい思い出になる。

でも、求め始めて比較し始めるともう、きついです。

 

もちろんそうならない人もいますが、私はそうだったし、私の周りも割とそういう人が多かったかなと思います。

ほんと病むんですよ、今思えば気にする必要もないし、他の冷静な人から見たら何を気にしてるんだ、ってことで悩み始める(笑)

 

そして認知がどうって話が出てくるようなところだと、ファン同士の足の引っ張り合いというか、叩きあいというか…そういうことが繰り広げられる。

こーわーすーぎー

 

もちろんメジャーどころでもそういう話って必ずあるし、なんならどんなメジャーどころも最初はマイナーなので、探せばそういう話はわんさか出てくると思います。

でももうそういうのを知って勝手に病みたいお年頃じゃないので…今の私は興味がないです。笑

 

あと、対推しっていうところで言えば、やらかしたらそれがバレて記憶に残る(笑)

いややらかすことってなかなかないと思うんですが、思わぬところで恥ずかしかったりする。

 

過去にライブが終わって、周辺でご飯屋さんをさがしてさまよってた時、たまたま会場の前をまた通ったら推したちがいて、出待ちしてたのかこいつらって思われたんじゃなかろうか、とものすごく焦ったことがあります(笑)

でも認知されるって悪くないよ!

こじらせるときついんですが、こじらせないorその時期を越えると、単に楽しい世界です。

いくら認知がどうとかきにならなくなっても、会いに行ったときに「久しぶり~!」って言われると嬉しいもんです。

 

要は比較しないことです。

これがいちばん大切!

 

これからは推しと結婚する可能性を残すためにあえて認知は狙わずに生きていきます!

…嘘です(笑)

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